top of page
菅谷裕美

都内から海に通うプロサーファー


初めまして。

JPSA公認プロロングボーダーの菅谷裕美と申します。

私は東京都出身で海が身近にない環境で育ちました。

そんな私がなぜプロサーファーになりたいという夢を持ち、夢を叶えたのか?

今までのサーフィン人生を少しお話したいと思います。

わたしは幼い頃は本当に勉強が大嫌いな子供でしたが、

体育、音楽は大好きな子供でした。

小学一年生から合唱団に入り、小学高学年になった時は

ミュージカル『アニー』に出たいという夢を持ち劇団東俳に入り演劇などを学びながら、バスケット部のレギュラーとして試合や練習に明け暮れる毎日でした。

ですが、反抗期が始まったくらいの時に、どちらも嫌になり辞めてしまいました。

幼い頃から夢中になれるものを見つけてはやめてしまう十代前半。

そこからは本当に酷い反抗期時代。

ヤマンバ全盛期17歳の時に友達がサーフィンに誘ってくれたのが きっかけでした。

一番最初にサーフボードに腹ばいになりスープで板が走る、あの気持ち良い感覚を今でも鮮明に覚えています。

楽しくて、楽しくて、足の着く場所で何度も繰り返したサーフィンと出会った日。

周りの人に、「私、プロサーファーになりたい!」と宣言して、聞いた人が笑ったのを凄くよく覚えています(笑)

そこから寒い冬は穴だらけのウェットにブーツ、グローブも履かずに無我夢中で海に通いました。

最初は都内から海に連れて行ってもらったけど、免許を取り中古の車を買い、一人で海に通うようになりました。

20歳くらいの時にはオンボロなアパートに一人暮らしをして、歯科助手の仕事をしながら生活をしていましたが、本当に貧乏で(笑)、東京から海に行くのは必ず下道。酷い時には片道5時間位かかりながら、お手製おにぎりを持参して海へ行ってました。

お給料前になると、海に行くお金も厳しく、食費か海代のどっちに回そう??

そんな状態で海に使ってしまい、ベビースターをお湯にふやかして食べていたのが、今となれば良い思い出になっています。この生活でハングリー精神が強くなったと思います(笑)

海には必ず通っていましたが、テイクオフしてからは真っ直ぐにしか走れず、だからと言ってそれ以上も求めていなく、ただそれが楽しいと思ってました。

そんな生活を送っていた時に、当時の歯科医院で同僚だったサーファーのよしみちゃんに

大会に出てみないかと誘ってもらい、何も考えず軽いノリで出た事が、その後のサーフィン人生が大きく変わる最初のきっかけになりました。

初めて出た大会。

一コケ。

負けた事より、長いロングボードを自由自在に動かす女性達を目の当たりにし、衝撃をかなり受けました。

私もあの人達みたいになりたい!!

それから週2日のお休みは、朝から暗くなるまで海で練習しました。

その後、2回ほど大会に出ましたが一コケ。

そして茨城県で開催されたガールズカップ『マハナガールズカップ』のスペシャルクラスにエントリーをして、ついに優勝をする事が出来ました。

今までに味わった事のない気持ち。

凄く凄く嬉しかった。

とっても大きなトロフィーをもらい、おばあちゃんに見せに行ったら、凄く喜んでいたのを覚えています。

それを機に大会で勝てるようになり、プロトライアルを意識するようになりました。

そして2回ほどプロトライアルを受けましたが、どちらも一コケ。

でも負けて悔しい気持ちは全く無く、波がジャンクなコンディションに、心の中では「勝たなくてよかった、もう一度あの波に入るなんてまっぴらだ」とまで思っていました。

実はその当時の私は、頭サイズの波には乗れないし、グーフィーも行けない状態でトライアルを受けていて、気持ちも弱かったのだと思います。

私が大きく変わるきっかけは、オーストラリアでのワーキングホリデーでした。

なぜオーストラリアへ行く事になったかと言うと、オーストラリアに住んでいた今の旦那さんが一時帰国をしている時に出会い、またオーストラリアに戻ってしまったので、遠距離恋愛になってしまいました。その生活が嫌で、仕事を辞めてオーストラリアに行ったのが、きっかけです。

オーストラリアでは、旦那さんはショートボードなので、入るポイントはロングには優しくない波ばかり。

本当にローリングで縦に何回吹っ飛ばされた事か(笑)

小波を忘れるような波に入り続けた2カ月目、

その日も波は大きく頭くらい。

ジャンクなコンディションになり、海に入っていたサーファーが徐々に減っていた事にも気付かず、私の中では人が少なくてラッキーなんて思っていたら、ゲット中のローリングで板が  

真っぷたつ。

海から上がり、波を見たらスープが頭を余裕で超えていました。

オーストラリアでの生活で多少のジャンクコンディションや大きな

波が怖くなりました。

オーストラリアで『Noosaフェスティバル』という試合にエントリーしました。

そこで世界中から集まった上手いサーファー達の演技を目の前で見て、衝撃を受け、と同時に地元の新聞の一面を飾る程の活躍をした日本人選手もいて、

同じ日本人として、私も頑張りたいと思いました。

色々な事を吸収したNoosaでは、結果は4位でした。

大きな大会だと、私なんか無理だとネガティブな気持ちを持ってしまう私でしたが、自分に自信を持てるようになりました。

日本に帰国してプロに絶対なる!!

と決めて、歯科助手として働き、週2日のお休みで練習。

毎日、仕事前には5キロ走りトレーニングをして臨んだ試合。

以前なら海で練習する時間が少な過ぎるから無理だとか、色々な事を考えてしまったけど、

トレーニングを頑張ってきた事で、努力は人を裏切らないと強く信じて臨んだプロトライアル。

この千倉での試合でプロ資格を取得する事ができ、準優勝もする事が出来ました。

しかし、プロになる前からプロになってからも海が大好きでしたが、去年は本当にサーフィンの調子やメンタルがコントロール出来なくて、苦しい1年でした。

サーフィンも嫌になり、海にも入りたくなくなり、プロも辞めようと思いました。

でも去年の冬は海から遠のいていましたが、久しぶりに入ったとき、パドルしているだけで楽しかった。

波待ちをしながら考えて、

辞めたらもうそこでおしまいだけど、

続ける事に意味があると思い

                 もう一度夢を持って頑張る事に決めました。

私は今までに優勝を2回する事が出来ました。

最後に優勝した時、いつも私を応援して、私の事を誰よりも信じてくれている旦那さんに見せられなかったので、優勝して旦那さんに恩返しをする事が今の私の夢です。

そして今年はサーフィン以外にも色々とやりたい事は沢山あります。

私は美容関連が大好きです。

私はサーフィンしている割には肌はあまり焼けていません。

それには色々な研究を重ねて今があります。

サーファー女子に向けて美容関連を発信していけるようになればと考えています。

そして、海の中でも可愛いアクセサリーを身につけて、輝いて欲しいと始めたハンドメイドアクセサリー『CHESEA』

公式インスタグラム

           ピアス一つでお顔の印象はかなり変わります。

            お化粧するのと一緒と思ってます。

     海でも取れにくく、サビにも強い14kgfパーツを使いハンドメイドしています。

七里ケ浜フリマでは月1ペースで出店していてサーファ女子が沢山きてくれます。

次回は3月11日(日)七里ケ浜海岸駐車場

9:00-15:00です。

その次は5月出店予定です。

美容の事などもよく質問を受け、そこではとっておきの情報などもお答えしています(笑)

今年はカラーコーディネーターの資格を取り、その方に一番似合うお色を専門的にお伝えできるようにしたいと思っています。

サーフィン、美容、アクセサリー

夢は沢山あります。

続ける事に意味があるので、感謝の気持ちを忘れず色々な事に挑戦していきたいと思います。


閲覧数:3,803回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page